織田信長の軌跡

日本人のみならず海外でも有名な人気No.1戦国武将織田信長

今更知ってるよ!と思う方も多いとは思いますが今回はそんな織田信長についてご紹介させていただきます。

かなり濃い人生を歩んでいらっしゃる方なのでいくつか章を分けて書いていきたいと思います!

 

出生

織田信長は1534年に5月尾張(現在の愛知県西部)の勝幡城にて織田信秀の嫡男として生を受けました。

幼名は吉法師(きっぽうし)です。

※勝幡城が有力でありその他、那古野城もしくは古渡城という説があります

 

イメージ勝幡城址

当時の織田家は尾張の守護でもなく守護代

それに信長は本家筋ではなく分家の生まれだったのです。

つまり弱小も弱小で一領主にすぎませんでした。

ですが信長の父、信秀は周囲の力を借り周りの城を落とし、着々と勢力を拡大していったのです。

元服

1546年(信長13歳)の時に父信秀の居城である古渡城で元服し、那古野城主となります。

翌1547年に今川軍との戦でしれっと初陣を果たしました。

結果は寡兵にも関わらず見事の勝利!

さすが信長!初陣から飛ばしてます!

 

ですが戦だけが武士の仕事ではなく、1549年頃から政務にも関わっていきます。

16歳から政事に携わるなんて現在では考えられませんね。

そしてこの頃、美濃(現在の岐阜県)の大名である斎藤道三の娘・濃姫と政略結婚をいたしました。

この濃姫という方については資料がほとんど残っておらず多くの謎に包まれております。

斉藤道三の死後、政略的価値がないので美濃に送り返されたなど諸説あります。

濃姫については今後別記事で掘っていこうかと思います!

家督相続

1552年3月に父・信秀が亡くなり、家督を継ぐこととなりました。

この時の有名なエピソードとして、父・信秀の葬式の際に位牌に向かって抹香を投げるというぶっ飛んだ行動をとっています。

ちなみにこの話しはかなり信憑性が高く真実の可能性がめちゃめちゃ高いです…。

 

1554年頃から清須の織田本家が、尾張守護職の斯波氏と敵対し度々戦をしていたところ、斯波義銀が信長を頼りに落ち延びてきました。

信長これは好機と、清須の織田本家を謀反人として戦をかけ、圧勝し織田信長は「織田本家」としての地位を得ました。

弟との対立

1556年、義理の父である斎藤道三が息子の義龍に討たれると、尾張国内の反信長派が弟・信行を擁立して挙兵し、同年8月稲生の戦いとなります。

信長はこの戦いに勝利しましたが、翌年、信行が性懲りもなく再び謀反を企てているとの密告があったため、清須に信行を誘い出し暗殺しました。

その後1558年に織田信賢を浮野の戦いで破り、1559年信長が26歳の時、ついに尾張統一を果たします。

 

~次回!桶狭間~

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